歴史と向き合う
アメリカの世論は「リメンバー=パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)との標語をもとに一致し、日本に対する激しい敵愾心に火がついた形となった。カリフォルニア州をはじめ、西海岸諸州に住む十二万三百十三人の日系アメリカ人が各地の強制収容所に収容されたが、ドイツ系・イタリア系のアメリカ人に対しては、こうした措置は取られなかった。(一部抜粋。)
これは、わたしが高校生の時に使用していた日本史の教科書から抜粋した文章である。本文ではなく、補足説明として掲載されていた。この文字よりも小さく掲載されている右の文章に目を通した記憶のある同年代はおそらく数えるほどしかいないだろう。そもそも、「日系アメリカ人」がどういう人たちなのか分からないために、この補足があらわす意味を汲み取れる人がいたかどうかも怪しい。日本の歴史教育は、受験に必要か否かが重要で、気になったことを調べる余裕すらなかったように思う。今回の研修は、私にとって初めてきちんと「日系アメリカ人」という人と、歴史と向き合うことができた貴重な機会だった。研修が終わり一ヶ月以上たった今でもそう思っている。
今回大きく学ぶことができたのは、歴史を学ぶことはその当時を生きた人々を深く考えることだと発見できたことだった。今まで歴史は嫌いだった。歴史はただ暗記してテストに備えるだけの苦痛な勉強だった。しかし、現存している資料やマンザナー強制収容所の訪問、敬老ホームで暮らす新一世や新二世の方々と対話を通じて、見えなかった面が見えてきた。
特にマンザナー強制収容所では、説明を聞きながら想像力を働かせることを念頭に置いて施設見学をしたのだが、最初は大きなショックを受けた。周りは見渡す限り山と大地。バラックの中にも容赦なく入ってくる、体温を奪われるような冷たい風。声も物音も筒抜けで壁のない部屋。トイレや入浴、洗濯、食事は外に出なければできない環境。トイレも浴室もプライバシーがない。明日はどうなるだろうか。家に帰れるのだろうか。尽きない疑問と不安に苛まれる日々を過ごした人々のことを思うと苦しかった。それでも自分の環境がよりよくなるようにと収入を得る方法を見つけ、庭を作り、娯楽を見つけ、一日一日を未来につなげた人々がいたこと。この暗い中にも明るい事実を知ることができたのは、資料を残し、当時のことを後世に伝えてくれた人々のおかげだ。
私が学んだことは今後も教科書には載らないかもしれない。それでも、歴史との向き合い方を教えてくれた日系アメリカ人を私は忘れない。
紀本 麻江
国際地域学部国際地域学科四年。埼玉県出身。途中バンコク育ち。今回の研修で初めてアメリカを訪れる。