マンザナールキャンプ
私は、2019年2月にマンザナールキャンプを訪れました。
77年前、真珠湾攻撃をきっかけとした、大統領令9066号によって、日系アメリカ人、日本人移民の多くがキャンプに送られました。アメリカ全土で対象者は11万人以上。そして、私が訪れたマンザナールキャンプには1万人を越える人々が送られました。
私がマンザナールを訪れた時に最初に思ったことは、”何も無い”でした。山の麓に砂と砂利だけがある。そんな印象でした。また、私が訪れたのは春の訪れる前で厚手のダウンジャケットが必要な程とても冷えました。この”何も無い”マンザナールに期限も知らされず、スーツケース2つの荷物しか持ち込むことを許されずに連れて来られたことを考えると、その不安は計り知れないものであったと感じました。
私は、マンザナールキャンプを見て回りました。実際に当時マンザナールキャンプに実在し、使われていたバラックを復元したものの中に入りました。バラックの完成度は高くなく、壁には冷たい風が入ってくる隙間があるほどでした。そしてそこには、快適とは程遠いベッドがあるのみ。個人の空間は無く、入って驚きました。他にも、トイレやシャワーに仕切りは一切無く、人々はプライバシーの無い、厳しい環境での生活を強いられていました。
しかし、そんな中私はマンザナールキャンプを見て回る中で、人々がマンザナールキャンプでの生活をより良いものにしようという想いと努力があったことを強く感じました。人々は、キャンプ内の労働で得られる少ない報酬で日用品を購入、資材を購入して家具を作っていました。バラックの中は、マンザナールキャンプが始まった当初とは違い、子どものおもちゃやカーテン、温かい生活感を感じました。全くの別物でした。また、お酒を作ったり、スポーツチームを作ったりと厳しい環境の中でも屈せずにいた人々の気持ちがとても伝わってきました。もっとも感銘を受けたのは、マンザナールキャンプの中にある庭園です。砂と砂利の”何も無い”場所にとても綺麗な庭園があります。日本庭園のようで日本の感性を感じました。その庭園は、マンザナールキャンプのデートスポットとしても有名でした。庭園には、マンザナールキャンプに暮らしていた人々の楽しい想い出が詰まっています。
キャンプに送られることになった悲しい過去を忘れてはいけないことですが、マンザナールキャンプでの人々が人間らしく、逞しく生きた過去を忘れてはいけないと思いました。そして、厳しい環境にも負けずに強い想いを持つことの大切さを学びました。
吉田 凌