2019LA研修 野村 理叡子

LA研修 記事

 

車から降りると鼻につく、乾いた土の匂い、見渡しても見えるのは砂漠と山々だけ。それが私のマンザナー強制収容所の第一印象だった。建物に入ると、マンザナー収容所に収容されていた1万人の名前が書かれた見上げるほど大きな垂れ幕が目に入った。有刺鉄線で囲まれている敷地の中にはバラックが複数あり、それぞれの中で違った当時の背景を知ることができ、私たちはスタッフの方の説明を受けながらバラックを見て回った。

最初のバラックでは日系人の方々が置かれた状況を目にし、何も知らずに2つのスーツケースを下げてこの場に佇む自分を想像した。藁を敷き詰めただけのベッドに触れたとき、その感触に言葉にできないショックと悲しみに胸が締め付けられた。ただ、私が感じたそれは隣のバラックに入ると大きく変わった。隣のバラックには、収容された日系人が積み重ねた血の滲むような努力が見て取れた。ベッドは柔らかく、ソファーやおもちゃなどがあり、バラック全体がより「家」に感じられた。働いて得た少ない給料から、日々の生活のためにお金を出し、カタログで注文していたという。収容前から収容後まで、とても長い時間差別や迫害に苦しみ、それでもアメリカというこの地で根を張り生きてきた人々の軌跡を見て、同じ国の血を持つものとして感銘を受けた。

またLA滞在中に、当時の収容経験のある方々にお話を伺う機会を頂いた。当初は悲しい記憶を呼び起こさせることが怖く、なかなか踏み込んだ質問ができずにいたが、様々な方から当時の出来事や感じたことをお聞きすることができた。「自分の子どもや孫にこのような話をするのは難しい。それでも、戦争の話を聞いてあげてほしい。」話している途中で思わず涙を零す方もいた。何十年経っても薄れることのない記憶なのだと、隣にいてその姿を見ることすら私には苦しかった。それでも彼女は当時の記憶を人々に語っているという。そんな姿を見て、戦争を知らない私たちが何も知らないまま育って行くことは間違っていると強く感じた。

振り返ると、教科書の数行にまとめられている歴史の中にインタビューや収容所訪問で様々な物語を垣間見る、そんなロサンゼルス研修であった。「奪えあえばたりない 分けあえばあまる」Go for Brokeの展示の中で見つけた忘れられない言葉だ。現在私たちがアメリカの街の中で普通に過ごせることも、かつてこの地で過酷な状況ながら耐え抜き、その地位を築き上げた日系の方々の努力によるものではないだろうか。そんなことを研修中様々な場面で感じた。研修に参加する前は歴史に疎く、むしろ無関心であったと思われる自分自身にも、研修に参加し様々な価値観や歴史的事実に触れたことで、物事の考え方に大きく変化があった。より人の声に耳を傾ける人になりたい、その想いから帰国後は人と出会うその一期を以前より大切に考えるよう心掛けている。最後に、研修の中でお会いし様々なお話をさせて頂いた全ての方へ深く感謝申し上げ、コラムの終わりとしたい。