新日系アメリカ人として生きるーNicole Satoさんへのインタビューー

私たちのグループは日系アメリカ人2世で、アメリカに住む日系人の為に大きなご活躍をされているNicole Sato様(写真、以下「ニコルさん」)に話をお伺いしました。
インタビューした内容を大きく4つに分けて報告したいと思います。

1. 学生生活、ボランティア
高校生の頃、日系アメリカ人キャンプのお世話係をするボランティアを始めたことが全ての発端となったそうです。幼い頃から日本の教科書を使って学び、家庭内でも日本語を話していたニコルさんは、日本のことをよくご存知でした。それに加えて、子供が好きということで、NPOを含む様々な団体からのお誘いがニコルさんのもとに届きました。大学入学後は、脚本を学びながら日系アメリカ人のボランティアに引き続き参加されていました。両立を続けた理由として、「競争が激しい映像関係の職に就くことは難しく、チャンスがあれば挑戦こそしてみたいものの、長いこと続けることは考えていなかった。」とおっしゃっていました。

2. 日系アメリカ人のアイデンティティ、文化
ニコルさんの最初のアイデンティティは、“日本人”でした。理由は2点あります。1つ目は、日本語を話すご両親とともに暮らしていたため、自宅では日本語を話して過ごすことが多かったからです。2つ目は、4歳頃に英語の学校に通いだした際に、英語の発音やアクセントが異なると言われたことで、「自分は日本人の発音やアクセントで、英語を話していた」のだと自覚したからです。その後、学校や様々なコミュニティの中で、差別的に扱われることがありました。例えば、日本語学校では、「アメリカ人だから分からないよ」と言われたり、反対に現地の学校では、「新二世だから、新日系だから私達とは違うじゃん」といった言葉を浴びせられたそうです。現在は、他の日系人とは異なり日本語も英語も堪能であることを活かし、日系人、アメリカ人、日本人のどの立場においても理解し、それぞれの間に立って、繋げる存在でありたいとおっしゃっていました。

3. Little Tokyo
 アメリカの学生はでは日本よりもボランティア活動に積極的に取り組むよう推奨されることが多く、ニコルさんも長年の間ボランティアをされていました。大学を卒業後も、日系人兵士のお話を聞いて発信するお仕事をされながら、Little Tokyoでの活動を続けていたそうです。Little Tokyo ではマネージャーとしてNPOのイベントの企画や運営を経験され、特にDay of remembrance(毎年2月19日にルーズベルト大統領が日系人収容の決定に署名した日)に開催したイベントが印象に残っているとおっしゃっていました。これらのことから、アメリカの学びの場が日本のように画一されたものでなく、様々な体験を通して自分のアイデンティティや興味に向き合ってきたからこそ、Little Tokyoはニコルさんにとって思い入れのある居場所なのだと感じました。

4. Black Lives Matter
 2020年5月に起きた事件を機に始まった人種差別抗議運動の「Black Lives Matter」についても質問をしました。アメリカでのメディアの発信に比例し、SNSでの共有も増えたとのことでした。当初は特に関心を持たなかったニコルさんでしたが、友人のSNS発信で理解を深め、ニコルさんもこの問題を日本人に見て欲しく、自らもSNSを通して共有するようになりました。

 以上のインタビューから、日本人でありアメリカ人でもあるニコルさんの幼少期の生い立ちや現在の活動に対する思いを知ることができました。リモート形式で、1時間半という短い時間でしたが、ニコルさんの画面上からでも伝わる人柄の良さに救われ、有意義なインタビューをすることができました。

【記事作成者】
岡山紘基(国際地域学科4年)、加藤遼晟(国際地域学科4年)、杉山みずき(国際地域学科4年)、山田望琴(国際地域学科4年)、金本聖良(国際地域学科4年)