初めてマンザナを見たとき、山々が連なる光景に「圧倒」されたのをよく覚えている。
マンザナには研修八日目に行き、まず到着するまでの道のりと風景に驚いた。遠くまで見渡せる殺風景な風景と真っ直ぐに伸びた道路、そして少ない建物。到着地が分かっている私でさえ徐々に眉間にしわがよった。それに加え、リトル東京から車で約六時間の道のりである。当時強制収容所に連れていかれた日系人の方々にとってどれだけの不安と苦痛があったのか、私の想像を超える。
マンザナは大きな山々を背に作られた収容所だった。山々に圧倒されどこを見ても遠くには山々が私たちを見下ろしているようで恐ろしく思えた。これが私が率直に感じたマンザナの印象である。また、この土地に来て感じたのが「孤独」だった。壮大な山々に囲まれて立っていると虚無感に見舞われたように感じたからだ。人里離れたこの地にただ簡易的な住居と不便な共同生活を強いられたら、しばらく何も考えられなくなりそうだ。
今回の研修で、「信頼されていない悲しみ」を頭に浮かべることが多かった。日系人はアメリカという友人に裏切られ、「敵」として見られた悲しみと怒りがあったはずである。避難や保護といった名目で環境が悪い土地に連れていかれ、鉄条網と銃を持ったアメリカ兵の監視は信頼されていなかったという証拠に思えた。それがどれだけ悲しく残酷な仕打ちだったか、忘れてはいけない。
日本とアメリカの両国によって翻弄された日系人の歴史は大きな負の財産であり、過去から学ぶ大切さを知った。私は、中学生の時にマンザナを舞台にした日系人のドラマを見たことがあった。その時はただこのような人々がいるのだとしか思っていなかった。しかし、ゼミで勉強し実際にアメリカに来ると、日系人が戦時中どのような扱いを受け、どのような歴史を歩んできたのか関心が強くなった。日本人だからではなく社会の一員としてこの事実は後世に残し2度と同じようなことは起こしてはならないと思った。先日、再びカルフォルニアに住む日系人を主人公にしたドラマ「二つの祖国」の放送があった。マンザナやリトル東京、442部隊など日系人を知るための重要な事柄が多く含まれていた。研修に行ったおかげで内容がすんなり理解でき、家族にも捕捉の説明をすることが出来た。今回の研修は日系人の歴史から人権とは何か、国籍とは何か、アイデンティティとは何か、考える機会にもなった。難しい問いではあるが考えることに意義があるので、このゼミ研修はその良いきっかけとなった。
浜崎皐(はまさき さつき) 埼玉県出身、3年次に約1年間韓国の仁荷大学校に留学し韓国の歴史・文化・社会・政治を勉強